『今日も朝、起きられた。今日も家族に会えた。今日も生きている』
当たり前だと思っていた日常が、当たり前でなくなったのはガンを経験してから…
という女性のエッセイを以前読みました。
今年の3月、きっと日本中の人々が「ガン」を「東日本大震災」に置き換え
同じように感じた事だと思います。
しかし、「喉元過ぎれば」何とやら…で、そんな深く大事な思いでさえも
忘却の彼方へいってしまう事が多いのも人間の性。
そう言えば、私も7年前の大発作では「死ぬかも」と思い
その後何日も15分毎に続く小発作に、横たわる事も出来ず
24時間立っているのが痛みを逃がすのに一番ましな状態…という日々で
「もしかしてエンドレス?やっぱり死ぬかも…」と
終わりの無いトンネルに入ってしまったように思い
初めて『絶望』という気持ちを実感しました。
何とか回復してからは
「呼吸が普通に出来るのは当たり前じゃないんだ!」
「普通に横になって眠れるって何て幸せなの?!」と
今まで当たり前に出来ていた事が出来なくなったから
本当の有り難さを知ったのです。
前述のエッセイの方も、
『明日生きられるかどうかわからない今日を迎えるたびに「毎日が誕生日」と思える』と語り
「明日があると思うと悩むし怠ける。命がある1日を一生懸命まっとうしないといけない」
「誕生日なんだから明るく楽しく過ごしたい」と治療に励まれているそうo(^-^)o
「明日があるさ」という楽な気持ちも大事だとは思います。
でも、私も一度「明日は無いかも」というのを目の当たりにしてしまったから
やっぱりそれは忘れられない。
時々、その時の事を思い出して、日常の有り難さを再確認し
「いま私に出来る事は、出来る範囲で精一杯やらなきゃね」と
ともすれば怠けがちな自分にカツを入れるのです。←元来プレッシャーかけないとダラダラする性分なので(-_-;
ホントに文章では書けないというか書きたくない程のドン底な姿&精神ズタボロだった自分を
今、客観的に眺めてみると…「よく戻って来たね!あの状況には戻りたくないよね」とも思え
何だって乗り越えられる気がするし。
※しかし、あの頃書き留めてる文章見ると、心も病んでるのがわかります(-_-;
完全な鬱症状です。
やはり心と身体は影響しあってます(;_;)
だからこそ今は以前にも増して、より楽しく明るく、そして誠実に
私に関わって下さる方々に対して向き合いたいと強く思う様になりました(*^^*)
ただ「生きてる」のではなく、周りの皆さんに「生かされている」んだと分かったのでo(^-^)o
で、近所の伊和志津神社に行っても、お遍路に行っても
いつでもどこでも真っ先に祈願するのは
「私に関わって下さる全ての方々が健康で幸せに過ごせますように…」
です(^-^)b
それがイコール「私の幸せ」であり、「こう生きたい」という私のスタイルなんだと思います(^_-)-☆
「後悔なんて全く無い!」なんて言い切るのは難しいかもしれないけれど
出来るだけ何に対しても
「あれが最後だったんだ…」と悔いるのではなく
「あれが最後で良かった!」と、笑えるように(*^o^*)
神様は時々色んな形で「試練」を与え、気づきを下さるのだと思います。
でないと、すぐ忘れますからね〜←特にワタシσ(^_^;)
むやみに焦ったり急いだりする必要は無いけれど
大切に過ごしたいと思うのです♪
とにかく、まずは心と身体の「健康」が大事!お金で買えません。
皆さん『油断は禁物』です(>Σ<)
私がいい例です…ん?悪い例ですね〜( ̄∀ ̄)
私はやっと持病をコントロール出来るようになりましたが、これからも油断せず
『レモングラス』に来てくださる皆さんと一緒に健康に気を付けあい
共に「楽しく快適」な生活を送れるようにしたいです\(^O^)/
長く皆さんの健康をお手伝い出来るよう、心技体共しなやかに鍛えていきたいと思います!
「毎日が誕生日」だと感謝をしながら…。
定年の無い自営業だし、いつまで出来るか見届けて下さいね〜(^_-)-☆
余談◇
時々「そんな酷い時期あったっけ?」と昔からの友人やお客様に言われる事もありますが
余りそんな風な記憶が無いのなら、私は嬉しいな!
弱味を見せるのが苦手な長女気質のワタシは「ボロボロ」な状況を見せたくなくて
隠し通したくて、その時期は必死に演技してたので…名演出来てたって事なのでV(^-^)V
『女優・MASAKO』誕生ですね(^w^)